2006年10月12日

電子書籍の音声読み上げ対応で「T-Time」と「電子かたりべ」が連動

10月11日付けでリリースがありました。T-Timeへの実装ではなく、アルファシステムズの電子音声読上げソフト「電子かたりべ」との連動での対応です。

ドットブックとしてリリースすることが、即、音声読み上げに対応するという事実は、大きな可能性を秘めています。リリース中の《電子本の基準として音読を包含する》は、特にかみしめて読みたい重要なことがたくさん指摘されていると感じました。
もし出版社(版元)が送り出すすべての電子的出版物が音声読上げを基準とするならば、世の中に出版される電子本点数はそのままロービジョン・障碍者への対応を備えたものになります。本を出版することが、特別な付加を加えることなく当たり前のこととしてロービジョン・障碍者への配慮をカバーすることにつながります。
惜しむらくは、「電子かたりべ」はどうやらMac環境には対応してないらしいという現実でしょうか。
もっとも、インテルベースのマッキントッシュは、すでに両刀遣いの環境を構築できる手はずが整っていることを考えれば、そう高いハードルでもないと考えることもできるし、適当な電子音声読上げサービスと折り合いがつけば、Mac環境への対応もすぐにでも実現できるだろうと楽観していますが…。

ボイジャーのプレスリリース:電子本の音声読上げ対応開始について
posted by 多村栄輝 at 19:09| Comment(1) | TrackBack(0) | NEWS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月03日

ユニバーサル・ユーザー・ドリブンを目指すT-Time

風の噂によると、次期T-Timeがテキスト読み上げ機能に対応するのだという。
たしかPocket PC版でテキスト読み上げにも対応していたと記憶しているが、PC用の本家T-Timeにも実装されることで、オンスクリーン読書環境がより充実することになる。
「読み上げたりできないの?」は、二〇世紀末に電子本を対面販売していたときには繰り返し訪ねられた言葉だった。しかしぼくは心の中ではその質問に反発していた。相手が、本当にテキストの読み上げを求めているとは思えなかったからだ。
まるで芸達者な犬をつかまえて、「こんなことはできないのか、つぎはこれをやってみせろ」と、面白半分に言ってみせているだけじゃないかと、胸の中で噛みついていたのだった。
視覚にハンデのある人にとって、グラフィカルユーザーインターフェースはけしてやさしくなかった。ウェブの世界も同様だった。CSSなどの技術で、そのあたりは少しずつ改善されているのかもしれないけれど。
いつか目が見えなくなるかもしれない、という爆弾をぼくも網膜に抱えている。「耳で聞く本」は市場としてはいつまでも浮上できないでいるけれど、無関係な世界ではない。
あわせて、ポッドキャスティングのような「耳で聞くメディア」が脚光を浴びつつあることとも、連動していくのではないかと思われる。

ユニバーサル・デザインという言葉も、ずいぶんと浸透してきた。かつてバリアフリーと呼ばれていたものを、ユニバーサル・デザインという言葉に置き換えるようにしたのは、いくつかの大手企業の成果だろう(本来のユニバーサル・デザインの語義とはズレを生じているかもしれないという功罪はあるにしても)。
ユーザー・ドリブンは、米ボイジャーの創設者ボブ・スタインが提唱した概念だ。エキスパンドブックは、ユーザー・ドリブンの考えの元に生み出された。その後継であるT-Timeもしかり。徹底したユーザー・ドリブンに基づいたインターフェースを備えている。それは、旧来の電子書籍の概念を破壊し、果てしなく拡張していくことを促している(エキスパンドブックとCD-ROMベースによるマルチメディアの時代からT-Timeへの変化は、過去にもいくつかのテキストで指摘されているが、いずれもっとまとまった形で論じられることもあると思う)。

「ユニバーサル・デザイン」+「ユーザー・ドリブン」=「ユニバーサル・ユーザー・ドリブン」

「ユニバーサル・ユーザー・ドリブン」は、ぼくの造語だ。だからこれは、いつもの勝手なラブレター。
posted by 多村栄輝 at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | Note | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする