2013年08月17日

富田倫生さんのこと

2013年8月16日、富田倫生さんは旅立っていった。
その日、青空文庫に氏の著作『本の未来』が公開された。

青空文庫の設立に、ボクはとても近いところにいたけれど、直接立ち会うことはなかった。
『本の未来』には、エキスパンドブックを取り巻く日本のインディペンデント・パブリッシャーたちのことが書かれているけれど、そこにボクは登場しない。
とても近いところにいたのだけれど、富田さんが向かっていたもの、富田さんが記録したものについて直接ストライクゾーンにボクはいなかった。
自分と電子書籍との関係は、そういうものだったと思う。
富田さんとの関係も、そういうものだった。

1992年に刊行された『青空のリスタート』で、ボクは富田倫生という名前を知った。
斜に構えた、少々まわりくどい文章の中に、隠そうとしても隠しきれない優しい視点を感じられて、ボクはその本が大好きになった。やけっぱちな気分を振りまきながらも、決して離れず、むしろしゃにむにしがみついていくような姿勢に、元気づけられた。
 ウイルスにやられた。
 そうと気づかぬうちに潜り込んできたクソ虫が暴れだして以来の阿鼻叫喚、血と涙の今日に至る日々を振り返って、このオレがもっとも不幸だったのは「やられた」と観念した瞬間だった。
 考えてみれば不幸の種なんて、栃錦のケツのバンソウコウの数くらいこの世の中にはゴロゴロ転がっている。エーテルのように常に我等を取り巻く災厄の種に、ノホホンと警戒心を欠いていたオレが悪いと言えば悪い。
  【青空文庫】富田倫生『青空のリスタート』
前半3分の1あたりに唐突に出てくるその文章を、当時のボクは「風邪でもひいたのだろう」くらいにしか受け止めていなかった。富田さんの病気のことを、このときのボクはまったく理解していなかった。

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『青空のリスタート』は何度も読み返した。そのたびに、元気をもらった。辛い日々だったけれど、大丈夫だと、その本は、力をくれた。
公園の深い緑に半分飲み込まれたような今のアパートで暮らし始めてから、もう五年近くたった。
そんな文から始まるあとがきは、本文とまったく違うウェットな内容で、やけっぱちな文章にやんややんやと喝采を送っていた直後にぶつけられるそのしっとりした文章は、富田倫生という存在に立体感を与えるのだった。そのときにもボクはまだ気がついていなかった。「雑誌が廃刊になって、連載打ち切りになってしまったショックって大きいんだろうな」そんなくらいに思っていたのだからじつにめでたいことである。本人は残りの命のすべてを病に奪われていたというのに。
 けれど大丈夫だと、オレは思った。
 窓を開けて雨上がりの冷たい空気を入れ、「きっと大丈夫だ」とオレは小さな声で言ってみた。
 青空のリスタート・ボタンは、押そうと思えばオレにもあなたにも押せるはずだ。
  【青空文庫】富田倫生『青空のリスタート』
そんなおめでたい奴にも、この本は勇気をくれた。
「きっと大丈夫だ」何度その言葉を口にしたことだろう。

1997年、『本の未来』が刊行された。この本の中で、ご自身の病気のことなどをボクは知ることになった。「病気についての記述をカットしなければ、刊行部数を削るしかないしそれだけ単価も高くなる」という出版サイドからの指示にも屈することなく、自分自身のことをしっかりと綴ることを、富田さんは選んだのだった。またしてもボクは富田さんの本から勇気をもらったのだ。
 本を書く機会を与えられて、私は自分の骨になったのではないかと思う大切な体験についてあらためて考え、自分自身が、そして読んでくれる他の人たちが納得できるような、明快な構図を与えて書き記したいと思いました。
 人は言葉で語って初めて、体験を腹におさめます。書くことで自分と距離を取ってこそ、感情の激しい波の下に潜り込み、底に潜んでいる本質を見つめられます。
  【青空文庫】富田倫生『本の未来』
『本の未来』は、1997年のマックワールドエキスポで先行販売が行われた。数少ない上京体験。ボクはエキスポの会場で富田さんに会った。興奮気味にいろんなことをまくしたてて、サインをねだった。わざわざ『青空のリスタート』を持って行ったボクは、富田さんの今の思いがつまった『本の未来』ではなく、『青空のリスタート』にサインしてもらった。あとで失礼なことをしたと気がついたけど、遅かった。
そんな破廉恥な行為も、まったく自分らしいことなのだろう。

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二〇世紀の後半、NIFTY-Serveのボイジャーサロンでボクたちは、たくさんの言葉を交わした。
富田さんとは結局ほんの数回しか顔を合わせることはなかった。
二〇世紀の終わり頃から、ボクはジワジワと電子書籍にまつわる活動がままならなくなっていったのだった。
富田さんは青空文庫の活動に集中するようになっていく。
ボクは青空文庫の活動は遠くから眺める以上のことはできなくなっていた。
 窓の向こうには、かすかだが今日も富士山が見える。
 青空のリスタート・ボタンは、きっと押せたのだろう。
  【青空文庫】富田倫生『本の未来』
富田さん、いままでずっとありがとう。
これからもボクは、折にふれてあなたの文章を読み返すと思う。
そして、ふたたび手を伸ばすだろう。青空のリスタート・ボタンに。何度でも。何度でも。
 
posted by 多村栄輝 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | Note | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする