当時まだビークルという呼称がなかったというのは昨日も指摘したとおりで、「それ」を何と呼べばいいのかは、まだわからないでいた。もっとも10年経過しても、いまだにはっきりしないね。数年後にはすべてKindleと呼ばれているのかもしれないけれど。
ともあれ「モニタや液晶パネルに映し出されるテキストや画像」を「読むこと」をとりまく事柄、特に装置について考察しようとしていたのであった。
歴史を振り返りながら、気がつけばあれもこれも読むための装置として使ってきた自分がそこにいた。そこにテキストを表示させることができるなら、なんでも読むための装置にしてきた。その過去のチャレンジの数々については、いずれ機会をあらためてまとめてみたい。
いまとなっては懐かしい装置のオンパレード。SONYの電子ブックはいまだ健在で、対抗馬(?)としてのNECデジタルブックに至っては、このマンダラートを発掘するまで完全に記憶から抜け落ちていました(苦笑)。
ゲームボーイ、ワンダースワン、ポケットステーション。これら携帯ゲーム機も立派な読書装置たりうることは、二十一世紀になってニンテンドーDSが立派に証明してくれることになった。
そして携帯電話は、現在の電子書籍市場の中心的存在である。
鎖に繋がれていた本を、アルダスが可搬性を高めたことで解放していったことに結びつけて、携帯性の高い読書装置は歴史の必然、と語るつもりだったらしい。なぜか文庫本の話で落としてしまっているけど。
「いろんなモノとの共存のためにコンパクトな文庫本が重宝する」という話は、今の目で見るとおめでたすぎてあきれるな。ボクがまだ「人は読書する」と信じていたのだろう。
「携帯電話でゲーム」といった潮流はまだまだ先のことだったし、ましてや「携帯電話でネット」なんてまだまだ先のことだったのだ。