2006年10月03日

ユニバーサル・ユーザー・ドリブンを目指すT-Time

風の噂によると、次期T-Timeがテキスト読み上げ機能に対応するのだという。
たしかPocket PC版でテキスト読み上げにも対応していたと記憶しているが、PC用の本家T-Timeにも実装されることで、オンスクリーン読書環境がより充実することになる。
「読み上げたりできないの?」は、二〇世紀末に電子本を対面販売していたときには繰り返し訪ねられた言葉だった。しかしぼくは心の中ではその質問に反発していた。相手が、本当にテキストの読み上げを求めているとは思えなかったからだ。
まるで芸達者な犬をつかまえて、「こんなことはできないのか、つぎはこれをやってみせろ」と、面白半分に言ってみせているだけじゃないかと、胸の中で噛みついていたのだった。
視覚にハンデのある人にとって、グラフィカルユーザーインターフェースはけしてやさしくなかった。ウェブの世界も同様だった。CSSなどの技術で、そのあたりは少しずつ改善されているのかもしれないけれど。
いつか目が見えなくなるかもしれない、という爆弾をぼくも網膜に抱えている。「耳で聞く本」は市場としてはいつまでも浮上できないでいるけれど、無関係な世界ではない。
あわせて、ポッドキャスティングのような「耳で聞くメディア」が脚光を浴びつつあることとも、連動していくのではないかと思われる。

ユニバーサル・デザインという言葉も、ずいぶんと浸透してきた。かつてバリアフリーと呼ばれていたものを、ユニバーサル・デザインという言葉に置き換えるようにしたのは、いくつかの大手企業の成果だろう(本来のユニバーサル・デザインの語義とはズレを生じているかもしれないという功罪はあるにしても)。
ユーザー・ドリブンは、米ボイジャーの創設者ボブ・スタインが提唱した概念だ。エキスパンドブックは、ユーザー・ドリブンの考えの元に生み出された。その後継であるT-Timeもしかり。徹底したユーザー・ドリブンに基づいたインターフェースを備えている。それは、旧来の電子書籍の概念を破壊し、果てしなく拡張していくことを促している(エキスパンドブックとCD-ROMベースによるマルチメディアの時代からT-Timeへの変化は、過去にもいくつかのテキストで指摘されているが、いずれもっとまとまった形で論じられることもあると思う)。

「ユニバーサル・デザイン」+「ユーザー・ドリブン」=「ユニバーサル・ユーザー・ドリブン」

「ユニバーサル・ユーザー・ドリブン」は、ぼくの造語だ。だからこれは、いつもの勝手なラブレター。
posted by 多村栄輝 at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | Note | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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