2018年02月06日

2018年の電子書籍事情








 
あれから20年近く経って、変わったこともあればまったく変わっていないこともあるという、あたり前の感想を思う。
 
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2013年08月17日

富田倫生さんのこと

2013年8月16日、富田倫生さんは旅立っていった。
その日、青空文庫に氏の著作『本の未来』が公開された。

青空文庫の設立に、ボクはとても近いところにいたけれど、直接立ち会うことはなかった。
『本の未来』には、エキスパンドブックを取り巻く日本のインディペンデント・パブリッシャーたちのことが書かれているけれど、そこにボクは登場しない。
とても近いところにいたのだけれど、富田さんが向かっていたもの、富田さんが記録したものについて直接ストライクゾーンにボクはいなかった。
自分と電子書籍との関係は、そういうものだったと思う。
富田さんとの関係も、そういうものだった。

1992年に刊行された『青空のリスタート』で、ボクは富田倫生という名前を知った。
斜に構えた、少々まわりくどい文章の中に、隠そうとしても隠しきれない優しい視点を感じられて、ボクはその本が大好きになった。やけっぱちな気分を振りまきながらも、決して離れず、むしろしゃにむにしがみついていくような姿勢に、元気づけられた。
 ウイルスにやられた。
 そうと気づかぬうちに潜り込んできたクソ虫が暴れだして以来の阿鼻叫喚、血と涙の今日に至る日々を振り返って、このオレがもっとも不幸だったのは「やられた」と観念した瞬間だった。
 考えてみれば不幸の種なんて、栃錦のケツのバンソウコウの数くらいこの世の中にはゴロゴロ転がっている。エーテルのように常に我等を取り巻く災厄の種に、ノホホンと警戒心を欠いていたオレが悪いと言えば悪い。
  【青空文庫】富田倫生『青空のリスタート』
前半3分の1あたりに唐突に出てくるその文章を、当時のボクは「風邪でもひいたのだろう」くらいにしか受け止めていなかった。富田さんの病気のことを、このときのボクはまったく理解していなかった。

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『青空のリスタート』は何度も読み返した。そのたびに、元気をもらった。辛い日々だったけれど、大丈夫だと、その本は、力をくれた。
公園の深い緑に半分飲み込まれたような今のアパートで暮らし始めてから、もう五年近くたった。
そんな文から始まるあとがきは、本文とまったく違うウェットな内容で、やけっぱちな文章にやんややんやと喝采を送っていた直後にぶつけられるそのしっとりした文章は、富田倫生という存在に立体感を与えるのだった。そのときにもボクはまだ気がついていなかった。「雑誌が廃刊になって、連載打ち切りになってしまったショックって大きいんだろうな」そんなくらいに思っていたのだからじつにめでたいことである。本人は残りの命のすべてを病に奪われていたというのに。
 けれど大丈夫だと、オレは思った。
 窓を開けて雨上がりの冷たい空気を入れ、「きっと大丈夫だ」とオレは小さな声で言ってみた。
 青空のリスタート・ボタンは、押そうと思えばオレにもあなたにも押せるはずだ。
  【青空文庫】富田倫生『青空のリスタート』
そんなおめでたい奴にも、この本は勇気をくれた。
「きっと大丈夫だ」何度その言葉を口にしたことだろう。

1997年、『本の未来』が刊行された。この本の中で、ご自身の病気のことなどをボクは知ることになった。「病気についての記述をカットしなければ、刊行部数を削るしかないしそれだけ単価も高くなる」という出版サイドからの指示にも屈することなく、自分自身のことをしっかりと綴ることを、富田さんは選んだのだった。またしてもボクは富田さんの本から勇気をもらったのだ。
 本を書く機会を与えられて、私は自分の骨になったのではないかと思う大切な体験についてあらためて考え、自分自身が、そして読んでくれる他の人たちが納得できるような、明快な構図を与えて書き記したいと思いました。
 人は言葉で語って初めて、体験を腹におさめます。書くことで自分と距離を取ってこそ、感情の激しい波の下に潜り込み、底に潜んでいる本質を見つめられます。
  【青空文庫】富田倫生『本の未来』
『本の未来』は、1997年のマックワールドエキスポで先行販売が行われた。数少ない上京体験。ボクはエキスポの会場で富田さんに会った。興奮気味にいろんなことをまくしたてて、サインをねだった。わざわざ『青空のリスタート』を持って行ったボクは、富田さんの今の思いがつまった『本の未来』ではなく、『青空のリスタート』にサインしてもらった。あとで失礼なことをしたと気がついたけど、遅かった。
そんな破廉恥な行為も、まったく自分らしいことなのだろう。

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二〇世紀の後半、NIFTY-Serveのボイジャーサロンでボクたちは、たくさんの言葉を交わした。
富田さんとは結局ほんの数回しか顔を合わせることはなかった。
二〇世紀の終わり頃から、ボクはジワジワと電子書籍にまつわる活動がままならなくなっていったのだった。
富田さんは青空文庫の活動に集中するようになっていく。
ボクは青空文庫の活動は遠くから眺める以上のことはできなくなっていた。
 窓の向こうには、かすかだが今日も富士山が見える。
 青空のリスタート・ボタンは、きっと押せたのだろう。
  【青空文庫】富田倫生『本の未来』
富田さん、いままでずっとありがとう。
これからもボクは、折にふれてあなたの文章を読み返すと思う。
そして、ふたたび手を伸ばすだろう。青空のリスタート・ボタンに。何度でも。何度でも。
 
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2012年01月21日

iBooks " Author "

ether2001 / えーてる
わりと昔、エキスパンドブックツールキット → けっこう昔、T-Time パブリッシャーズ・キット → そして今、iBooks Author 。「道具箱」「出版のための道具」そして「著者」へ。とうとうここまできた。 #EBA21 at 01/20 22:02


ether2001 / えーてる
かつて、ボイジャーは「この世界には、あなたの本を読みたい人が必ずいる」と信じて、エキスパンドブックツールキットを提供した。本を著すという観点に立てば、「Author」であっていたのだ。しかし当時は、そう言い切ることができなかった。そういう時代だったと言える。 #EBA21 at 01/20 22:05


ether2001 / えーてる
そして T-Time に軌道修正したときに「パブリッシャーズ・キット」を提供した。「本を著す」という行為が「出版」と同義であると考えたからに違いない。しかしボクは、そこにピタリとしたものを感じられず、戸惑っていた。だから電子本を出すことをやめたのだった。 #EBA21 at 01/20 22:08


ether2001 / えーてる
出版人になりたいと思ったんじゃない。たった一人の読者のための手段がほしかったのだ。「極小規模な出版、極私的な出版(Small Publishing, Private Publishing. = SPPP)」を標榜したボクは、T-Time から距離をおくことになる。 #EBA21 at 01/20 22:12


ether2001 / えーてる
SPPP についてはまとまったテキストをどこにも発表していない。その機会がなかったし、当時の自分にはその時間も与えられていなかったから。ポシブルブック倶楽部のメールマガジンでは、その話はしていたと思うけど、ボクの手元にそのログは残っていない。 #EBA21 at 01/20 22:14


ether2001 / えーてる
「この世界には、あなたの本を読みたい人が必ずいる」。だから本を出そう、誰もが本を著すことのできる世界をつくろう、それがボイジャーがエキスパンドブックに込めた思いだったのではないか。そのための道具箱(ツールキット)。誰のための? 出版人じゃない。著者だ。 #EBA21 at 01/20 22:16


ether2001 / えーてる
iBooks Author は、「本を著そう」と促している。「出版しよう」なんて言い方はしない。あくまで個人、あくまでパーソナルな、主役は人間。ようやくここまできた。とうとうここまできた。 #EBA21 at 01/20 22:19


ether2001 / えーてる
だからボクは、iBooks Author というネーミングのことを、萩野正昭氏やボブ・スタイン氏がどう思っているか、知りたくて聞きたくて仕方がない。Apple の戦略なんて二の次だ。 #EBA21 at 01/20 22:22


ether2001 / えーてる
その名前に託されているものが何かを、ミスター電子書籍の二人がピタリと言い当てる姿を、みたいのだ。「ちくしょう、アップルめ。俺らが遠慮して使えなかったネーミングを、平然と使いやがって」と、彼らは言うに違いないのだ。 #EBA21 at 01/20 22:24


ether2001 / えーてる
だからアップルは、責任重大なんだ。ほんとうにわかっているのかい? もしデジタル教科書の世界を中世の暗黒時代にしてしまうようなことがあれば、電子書籍作成ツールに「Author」の名を冠したことを、笑われることになるだろう。かつて、東芝のダイナブックが笑われたように。 #EBA21 at 01/20 22:29

 
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2011年10月24日

ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』を最速で読むなら理想書店のドットブック

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2011年10月24日に発売開始とアナウンスされつつ、じつは出荷を間に合わせるのが精一杯で、取次に24日に届いた様子。都内では書店に並んだところもあったようですが、関西には間に合わなかった? 

というわけで、予定どおり本日15時から発売された理想書店で迷わずポチっと。
電子書籍版はいくつものサイトで販売されたようですが、PC・iPhone・iPadのどの環境でも読めるのは理想書店のドットブック版だけ。

ボク自身は、読書に割ける時間も限られているし、最速で読んで最速レビューしたいという欲もないけど、物理的な距離や時間や質量に縛られないことのメリットは、こういうときに享受しておくのもわるくないかな、と思って迷わず理想書店にアクセスしたわけで。

京阪なにわ橋駅で電車を待ちながらiPhone4でアクセス、京阪中之島線は車中でも3G回線が切れないので、到着した電車に乗り込みながらダウンロード完了、そのまま読み始めました。

日本ではまだまだ奇特な人の特権のように受け取られるかもしれない些細な出来事だけど、海の向こうではKindle以降の世界……つまり2007年11月から、とっくにあたりまえの光景なんだね。
 
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2010年04月07日

もっと過去から最新のEBA21

こちらも御覧ください。

http://twilog.org/ether2001/hashtags-EBA21
 
 
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EBA21


Tue, Apr 06


  • 10:22  『iPad VS. キンドル』を読んで初めて知ったこと。国際版キンドルでは無料の本は存在せず、2ドルの値段がつく。Whispersyncの通信費が上乗せされているらしいです。どうりで0ドルの本が見当たらないわけです。 #EBA21

  • 10:23  『iPad VS. キンドル』ePubフォーマットの普及は、ソニーが仕掛けた。グーグルに採用するように交渉したらしい。現在、キンドル以外の電子書籍リーダーは、すべてePub対応している。 #EBA21

  • 10:27  iBooks Store はフリーの本を大量に用意しているのは、キンドルのような通信費ぶっ込みの価格設定が不要だからできるんだ。でもそうあるべき。2ドルという中途半端な設定はフリーミアム的にもよろしくないのでは。 #EBA21

  • 10:29  日本で iBooks Store がオープンしたとき、青空文庫のタイトルが一気に登録されているといった状況は果たしてあるのかしらん? それをあっさりとやってのける決断と実行力がほしいな。 #EBA21



Mon, Apr 05


  • 13:57  電子書籍と紙書籍は喧嘩しないよ。紙書籍の売上が落ち込みは歯止めがきかなくて、電子書籍の市場拡大はそれとは別に進んでいくだけなんだよ。相関関係は、あるようで微々たるものしかないと思うよ。 #EBA21



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2010年02月16日

小林雅一氏『モバイル・コンピューティング』電子書籍の章の結論、ボクが二〇世紀の終り頃に夢想したのと同じ内容でうれしかった。

ether2001 / えーてる
小林雅一氏『モバイル・コンピューティング』電子書籍の章の結論、ボクが二〇世紀の終り頃に夢想したのと同じ内容でうれしかった。固めの本だけど、書いてる内容も視点もブレてなくていい本だった。 at 02/16 12:53

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読書こそ我がライフログ、という貴兄も多いでしょう?

ether2001 / えーてる
読書こそ我がライフログ、という貴兄も多いでしょう? そんな人にこそ恩恵となるのが電子書籍の世界のはず。また、そうあらねば電子書籍である意味はないよね。 at 02/15 21:48

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2010年02月08日

音声読み上げ機能よりも、音声認識機能に期待しています。

ether2001 / えーてる
(すでに死語だよね)マルチメディア的な電子書籍のひとつの究極として『LuLu』のようなものがあるわけだけど、21世紀の電子書籍が獲得する「紙の本にはできないこと」は、まったく違うものになるでしょうね。 #EBA21 at 02/07 22:48


ether2001 / えーてる
アニメーションや音声との融合による不思議体験的な読書を求めている貴兄のために、あの時代の『LuLu』や『星の王子さま』がリバイバルすればいいのにと思う。『ジャングルパーク』『ピクルス・ブック』などは文字のない絵本としての到達点。まったく陳腐化していないはず。 #EBA21 at 02/07 22:51


ether2001 / えーてる
むしろひとつのタイトルに当時のような資本が投入されづらい御時世であることを考えると、ブリキのぜんまいやギアボックスの量産技術が失われているように、オーパーツ化していると言えなくもないです。 #EBA21 at 02/07 22:53


ether2001 / えーてる
音声読み上げ機能よりも、音声認識機能に期待しています。「誌面上のフレーズを読み上げると、該当する部位がマーキングされる」なんてインタラクティビティは、やろうと思えば今すぐできる機能。 #EBA21 at 02/07 22:57

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2009年11月11日

2009年11月10日

二〇世紀末夢想その2「読書端末は今」

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当時まだビークルという呼称がなかったというのは昨日も指摘したとおりで、「それ」を何と呼べばいいのかは、まだわからないでいた。もっとも10年経過しても、いまだにはっきりしないね。数年後にはすべてKindleと呼ばれているのかもしれないけれど。

ともあれ「モニタや液晶パネルに映し出されるテキストや画像」を「読むこと」をとりまく事柄、特に装置について考察しようとしていたのであった。

歴史を振り返りながら、気がつけばあれもこれも読むための装置として使ってきた自分がそこにいた。そこにテキストを表示させることができるなら、なんでも読むための装置にしてきた。その過去のチャレンジの数々については、いずれ機会をあらためてまとめてみたい。

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いまとなっては懐かしい装置のオンパレード。SONYの電子ブックはいまだ健在で、対抗馬(?)としてのNECデジタルブックに至っては、このマンダラートを発掘するまで完全に記憶から抜け落ちていました(苦笑)。

ゲームボーイ、ワンダースワン、ポケットステーション。これら携帯ゲーム機も立派な読書装置たりうることは、二十一世紀になってニンテンドーDSが立派に証明してくれることになった。

そして携帯電話は、現在の電子書籍市場の中心的存在である。

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鎖に繋がれていた本を、アルダスが可搬性を高めたことで解放していったことに結びつけて、携帯性の高い読書装置は歴史の必然、と語るつもりだったらしい。なぜか文庫本の話で落としてしまっているけど。

「いろんなモノとの共存のためにコンパクトな文庫本が重宝する」という話は、今の目で見るとおめでたすぎてあきれるな。ボクがまだ「人は読書する」と信じていたのだろう。

「携帯電話でゲーム」といった潮流はまだまだ先のことだったし、ましてや「携帯電話でネット」なんてまだまだ先のことだったのだ。
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2009年11月09日

二〇世紀末夢想その1「読書端末の本」

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一台保存しているMacOS9で動くマシンを久しぶりに立ち上げたので、HyperCard版Manal-Artを開いた。

「読書端末の本 99.09.24」という名前のマンダラがあった。あれからもう10年になるのか。1999年9月のログを読むと、「本の学校」に出席して、訳も分からず吠えまくっていた頃でした。あの美しいシェル型のiBookが予約受け付け開始とあります。

「いまそこにある読書端末」を中心セルに、「携帯型デジタル読書機器を網羅する」とあります。まだ「専用端末」は日本には存在せず(欧米にはいろいろあったと記憶)、ボイジャーの萩野氏も「ビークル」という概念については語っていなかった時代のことでした。
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2008年07月09日

待ち遠しいiPhone読書体験

coo.jpg
待ち望んでいた理想の本
T-Time/azurは
iPhoneに着地する
なんと力強いメッセージか。
でるのかな、T-Time/azur for iPhone。
App Storeにさりげなく登録されているといいなぁ。

T-Time、ドットブックにはiTunes Storeに匹敵する環境が必要だと常々思っていたけど、ひょっとしたらひょっとするのかも。少なくとも未来は繋がっている。iPhoneと共に。
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2007年09月28日

T-Time/azur & iPhone, iPod touch, iPod nano

Voyager_iPhone

さっき気が付いたけど、ボイジャーのT-Timeの書き出しページのデバイス、ちゃんとiPhoneに差し替えられているのね。たぶん少し前からこうなってたんだろうなぁ。

iPod touch と新しい iPod nano が登場したことを受けて、近々T-Time/azurも正式対応するべくバージョンアップされるらしい。

iPod 5Gに.bookを書き出してたまに読むこともあるけど、個人的にはクリックホイールはセンシティブすぎてうまくページをめくれないことが多い。iPod touchのインターフェースは、さてどうなのだろうか。
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2007年09月19日

青空文庫10歳記念版「蔵書6300」

青空文庫10歳記念版「蔵書6300」

青空文庫十周年記念DVD-ROMをいただいた。
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2006年10月03日

ユニバーサル・ユーザー・ドリブンを目指すT-Time

風の噂によると、次期T-Timeがテキスト読み上げ機能に対応するのだという。
たしかPocket PC版でテキスト読み上げにも対応していたと記憶しているが、PC用の本家T-Timeにも実装されることで、オンスクリーン読書環境がより充実することになる。
「読み上げたりできないの?」は、二〇世紀末に電子本を対面販売していたときには繰り返し訪ねられた言葉だった。しかしぼくは心の中ではその質問に反発していた。相手が、本当にテキストの読み上げを求めているとは思えなかったからだ。
まるで芸達者な犬をつかまえて、「こんなことはできないのか、つぎはこれをやってみせろ」と、面白半分に言ってみせているだけじゃないかと、胸の中で噛みついていたのだった。
視覚にハンデのある人にとって、グラフィカルユーザーインターフェースはけしてやさしくなかった。ウェブの世界も同様だった。CSSなどの技術で、そのあたりは少しずつ改善されているのかもしれないけれど。
いつか目が見えなくなるかもしれない、という爆弾をぼくも網膜に抱えている。「耳で聞く本」は市場としてはいつまでも浮上できないでいるけれど、無関係な世界ではない。
あわせて、ポッドキャスティングのような「耳で聞くメディア」が脚光を浴びつつあることとも、連動していくのではないかと思われる。

ユニバーサル・デザインという言葉も、ずいぶんと浸透してきた。かつてバリアフリーと呼ばれていたものを、ユニバーサル・デザインという言葉に置き換えるようにしたのは、いくつかの大手企業の成果だろう(本来のユニバーサル・デザインの語義とはズレを生じているかもしれないという功罪はあるにしても)。
ユーザー・ドリブンは、米ボイジャーの創設者ボブ・スタインが提唱した概念だ。エキスパンドブックは、ユーザー・ドリブンの考えの元に生み出された。その後継であるT-Timeもしかり。徹底したユーザー・ドリブンに基づいたインターフェースを備えている。それは、旧来の電子書籍の概念を破壊し、果てしなく拡張していくことを促している(エキスパンドブックとCD-ROMベースによるマルチメディアの時代からT-Timeへの変化は、過去にもいくつかのテキストで指摘されているが、いずれもっとまとまった形で論じられることもあると思う)。

「ユニバーサル・デザイン」+「ユーザー・ドリブン」=「ユニバーサル・ユーザー・ドリブン」

「ユニバーサル・ユーザー・ドリブン」は、ぼくの造語だ。だからこれは、いつもの勝手なラブレター。
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2006年07月31日

読書装置としてのW-ZERO3[es]

先代のW-ZERO3よりもモニタサイズは小さくなったが、640×480の画面サイズは変わりなく、2.8型VGA液晶はくっきりとしていて見やすい。付属のブンコビューワもよいが、おそらくT-Time for Pocet PC も問題なく動くだろう。
筐体がスリムになったことで、先代よりも手になじむ。読書装置としても、申し分ない仕上がりだろう。

今年の春に京ぽん2に機種変更したばかりだし、なによりWindows Mobileという環境に慣れる自信がないので、当面手を出す予定はないけれど、読書装置としてはイケてるのではないかな。
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2006年01月13日

Macintoshがエキスパンドブックに別れを告げた日

Intel製CPUを搭載したMacintoshが発表されました。既存アプリケーションとの互換性を確保するための技術としてRosettaが組み込まれているわけですが、このRosetta、いわゆるClassic環境はサポートされません。OS 9以前の環境で動いていたアプリケーションはまったく動かなくなるわけで、これはエキスパンドブックもHyperCardも動かない、ということ意味します。

過去に何度か「エキスパンドブックのOS Xバージョンがほしい」と書いたことがあったけれど(参考:「週刊ドットブック」はもう読めない)、エキスパンドブックという貴重な資産が消え去る日がいよいよホンモノになってきた。HyperCardなどは、Classic環境で動かした方がOS 9で動かすよりも快適だったりしたのだけど、これも新しいMacでは楽しむことができない。

別れの日は、あっさりとやってくるもの。

だからこそのドットブックやアジュールなのだろう。わかっているけど、寂しい。
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2005年12月13日

W-ZERO3はT-Timeも動くらしい

先週アスキーから発売されたW-ZERO3のムックによると、試作機にて T-Time for Pocket PC の動作確認がとれたそうです。ブンコビューワも標準搭載、しかもウェブにいつでもアクセスできるとなれば、なかなか魅力的な読書環境…かもしれません。
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2005年10月23日

そのiPodをぼくの本に

新しいiPodはいいね。画面もQVGAサイズで大きくなって、なによりその薄さがいい。iPod nanoに負けるとも劣らない薄さ、コンパクト感。これまでのiPodよりも、グンと本としての魅力が増してきた感じ。
posted by 多村栄輝 at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | Note | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする